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10月
追悼
轉法輪 奏氏の使命を引き継ぐ


アラブ協会の理事で、大阪商船三井船舶株式会社の相談役、轉法輪奏氏は今年10月3日、肺炎のため神奈川県逗子市の自宅で亡くなった。まだまだ若い、69歳だった。
轉法輪氏の政府、官僚批判は常に舌鋒鋭く、大企業の経営者として、政治家や官僚から、嫌がらせに遭わないかと、私の方がヒヤヒヤするくらいだった。「大丈夫ですか」と尋ねると、轉法輪氏は「平気、平気。船籍はリベリア、キャプテン以外はフィリピン、韓国人という海運会社には、政府のお世話になるところなんか、すでにないんですよ。政府を頼ったりすると、ロクなことがないんです」と明るく言い放たれた。
私が主催する昼食会にも、熱心に出席され、講師役も気軽に引き受けて下さった。昨年の夏のこと、行政改革委員会の委員である轉法輪氏に「規制緩和」のお話しをお願いしたが、当日になって「テーマを変えたい」との申し出があった。轉法輪氏が一気に話されたテーマとは、日本の安全保障問題だった。
海運会社のトップとして、わが国のシーレーン確保は何よりも重要なことである。しかし、轉法輪氏の話しは業界の都合というよりは、日本という国家がどのようにして自分の足でしっかりと立ち、自分の目で見、耳で聞く、そして自分の頭で考えるのかを、熱心に説かれたのだ。くりくりとした目玉を動かし、身体中で訴える轉法輪氏は、まるで何かに取りつかれたかのような、実に鬼気迫るものがあった。
その後、体調を崩され、入退院後は酸素ボンベを引きずりながらも、日本の安全保障問題に取り組まれ、時折、自筆の政策提言も頂戴した。それを自らの使命とされたのだろう。
豪快かつ繊細な方だった。
亡くなる二週間ほど前に、電話でお見舞に伺いたい旨を伝えたが、むしろ私が励まされてしまった。轉法輪氏の使命を受け継ぎ、ご恩に報いたい。謹んで哀悼の意を捧げつつ。

轉法輪 奏氏について
大阪商船三井船舶相談役で経済同友会副代表幹事
1952年、旧大阪商船(現、大阪商船三井船舶)に入社。
1989年から5年間社長を務め、この間、円高に伴う海運危機を乗り切るため大幅なリストラを断行、世界の海運業界での生き残りを図る提携も実現させた。
1991年、アラブ協会理事に就任、傾きかけていた同協会の再生に務める。
1994年、大阪商船三井船舶の会長に就任する一方、95年4月から経済同友会の副代表幹事を務め、規制緩和、安全保障問題等で積極的に発言。

小池百合子と轉法輪奏氏との出会い
1990年、小池は中谷武世氏の逝去後、路頭に迷う状態にあった「アラブ協会」の立て直しをすべく、同協会の事務局長に就任。会長には、古くから小池の父親と交流のあった、コスモ商事社長(当時)中山善郎氏にお引き受け頂いた。この時、人、物、金、何もない協会と知りながら、中山善郎会長の心意気を受け、轉法輪氏が二つ返事で理事に就任、新生「アラブ協会」がスタートしたのである。
小池は、今でもその時のことを想い出し、あれほど頼もしく感じたことはなかったと話す。轉法輪氏は彼女が政治界入りして以降も、政策面、精神面でしっかり小池を支えた。



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