| 1月 技を極めたプロになりたかった 関西週刊ビーイング1998/12/30,1999/1/6掲載 |
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| 技を極めたプロになりたかった そもそものはじまりは1969年のアポロ11号の月面着陸だった。 「アームストロング船長の有名な、『この一歩は人類にとっては偉大な一歩だ』という文句があるでしょ。私たち日本人は、これを同時通訳の女性の声を通して理解したわけなんだけど、その時、横の文字を縦にする、その通訳という仕事にとても興味をひかれたんです」 そもそも就職、結婚、出産という人生を生きることは考えていなかった。「“包丁一本”で生きていくプロフェッショナルでありたい」と願う小池氏にとって、通訳という職業はまさにうってつけだった。 「アラビア語を選んだのは、父が石油関係の仕事をしていて、資源のほとんどを海外に頼っている日本の現状の話などを聞いて、これから確実にニーズが高まる言語だと思ったから。それ以上に、アラビア語を学ぶ人が当時、ほとんどいなかったというのも魅力でしたね」 留学先で第4次中東戦争を体験。 誰も進まない道は、それだけ険しい道だったに違いない。事実、生活費のほとんどは観光ガイドや家庭教師のアルバイトでまかなっていたし、学校での授業も教科書を一冊一冊、日本語に訳して臨んだので、毎日、寝る暇もなかったという。 「父の話では、会社の辞令で中東に行った人というのは『逆日めくり』というのを作って、あと何日で日本に帰れるかを数えるんだそうです。でも、私のカイロでの毎日は、一日一日が刺激的で楽しかった」 険しい道を選んだからこそ、得るものも大きかった。 「在学2年目に第4次中東戦争を体験したというのは、私にとっては大きかったですね。銃弾が飛び交うようなところにいたわけではないけど、友人のお兄さんが戦場に行ってそのまま帰ってこなかったという話も聞いたし、20代半ばという多感な年に戦時下の何ともいえない緊張感を肌で感じたわけですからね」 帰国後、通訳を始めてからも、歴史を目の当たりにするような現場を何度も体験した。 「サダト大統領は、とにかくものすごい存在感を感じましたね。過去、いくども死線をくぐり抜けてきたPLOのアラファト議長にも、リーダーとしての迫力を感じました」 自分の道は自分で切り開くしかない こうした様々な体験を通じ、自分自身も歴史作りに参加したいと思うようになるまでは、ごく自然な流れだった。 「もちろん、政治の道を志そうという思いは、25歳前後のこのころの体験なくしては出てこなかったでしょうね。結局、その後の私がたどってきた人生の材料は、すべてこのころにつながってくるんですよ。それだけ、人生の中でこの時代は大切な時代なんだと思います」 では、今の時代を生きる人たちにとって、今、やらなくてはならないこと、とは?「端的に言えば、『武装自立』の姿勢だと思うんです。今までの日本人はどんな場所でも『非武装忠実』という態度をとってきたけど、これからの時代はそうはいきませんよ、と。例えば会社という組織の中にいても、自立した自己というものをもっていない人は、生きていけない時代がやってきているんじゃないかと思うんです。私も昔から『女だてら』とか『変人』みたいに言われてきましたけど、こういう風潮になって、やっと居心地がよくなってきましたよ」 |
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