| 10月 危機管理見習いたい(99.10.13) |
| 「錦上添花 雪中送炭」という中国の故事がある。賑やかで楽しい場にさらに花を添えるより、雪に見舞われ苦しい時に炭を送るほうが喜ばれるという意味だ。 マグニチュード七・六の大地震が台湾中部を襲った九月二十一日、わが国の救援隊は真っ先に被災地に駆け付け、迅速な対応を行った。義援金をはじめとする日本国民による支援の輪が次々と届くなど、まさに「雪中送炭」と台湾の人々を大いに感激させている。阪神大震災での教訓が生かされた好例といえるだろう。 私は地震発生から十日後の十月一日、李登輝総統とともに総統専用機で被災地台中に入った。阪神大震災の十倍のエネルギーが働いたというだけあって、活断層による地面の隆起は凄まじく、道路はうねり、建物は大きく傾いでいた。 しかし、私を驚かせたのは、被災地の落ち着きであった。兵庫県出身議員として、阪神大震災での混乱はいまだに記憶に新しい。震災発生十日後といえば遺体や瓦礫の処理に翻弄されていた頃だ。 なぜこれほど早く町が落ち着きを取り戻せたのか。 理由は三つある。 第一に李登輝総統のリーダーシップである。大地震という有事にまず何をすべきか、どのように行うか、冷静に危機管理を行う術を心得ている。大陸からいつミサイル攻撃を受けるかわからない、つねに危機管理能力が問われているのだから、当然かもしれない。 第一段階は人命救助、第二段階では仮設住宅の設置、住居を失った人達への財政的支援などで安心と希望を与える。第三段階は安全な街づくりである。この際、人口が密集しない新しい理想的な街をつくりたいと李総統は夢を語る。頭の中にしっかりフローチャートが刻まれているようだった。 第二の理由は軍の活用である。軍隊ほど指揮命令系統が明確な組織はない。総統の下で全体的な指揮を執るのは湯明曜参謀総長だ。数年前に台湾南部を襲った大洪水の司令官だった人物である。 瓦礫の処理、仮設住宅の設置は工兵隊が担当し、猛烈なスピードで対応している。瓦礫処理は思いのほか、手間とコストがかかるものだが、工兵隊の活用は時間的、経費的問題の解決を可能にした。 仮設住宅の設置も工兵隊を中心に全面的に軍が当たる。上物は阪神大震災で使用した千戸を間接的に日本政府が提供し、第一陣の百五十戸は今週中にも台中の港に到着の予定だ。仮設住宅の設置予定地のひとつ、東勢の避難所ではすでに見取り図が用意され、地ならしや水道、電気の設置準備が進められていた。わが国では設置まで半年以上かかったことを考えれば台湾の復旧のスピードは早い。 また軍の施設を避難所として、医療施設としてフルに活用していることも強く印象に残った。 第三に緊急禁止令の発布である。いわゆるマーシャルローとして、一時的に超法規的措置をとることができる。阪神大震災これに類似する災害対策基本法109条が適用されることはなかった。物価統制や私有権の凍結を含む内容が強過ぎることが理由とされた。 以上の理由で台湾の震災復旧、復興はかなり早く進むと確信した。 実は、私は支援物資とともに兵庫県や阪神各市が編集した復興記録を持参した。わが国の教訓を提供しようと考えたのだが、李総統の話を聞き、実際に被災地での対応を見るにつけ、教えられることのほうが多かった。 阪神大震災で当時の政府は非常災害対策本部の設置にとどまった。本部長は国務大臣であり、指揮命令というよりは、同じランクにある他の国務大臣との調整役にすぎない。非常災害対策本部よりも強力なのが緊急災害対策本部だ。「非常」と「緊急」の違いは大きく、本部長は総理大臣が務める。 台湾の場合は、躊躇することなく、李登輝総統が長を務め、さらには指揮命令系統が明確な軍が中心的役割を担っている。その足元を支えるのが中央、地方の役所であり、情報の集約、責任分担が徹底できるというものだ。 また、阪神大震災では自衛隊の出動の遅れが問題となった。自衛隊が遅れたというよりは、出動要請が遅れたのである。これまでの自衛隊に対する偏見や政治イデオロギーが意識、無意識にブレーキをかけたことは言うまでもない。 つまり、わが国は、形の上では法律や組織を有していながらも、実際には有効に活用していない。自然災害であれ、人為的な戦争であれ、有事の際の鉄則は最悪の事態を想定し、かつ迅速に対応することである。少々オーバーと思われる対策でも、大事に至らなければそれに越したことはない。 東海村の原子力事故でもわが国の危機管理の甘さが露呈した。被爆で倒れた職員を「てんかん」と伝え、救急隊員の被爆を招いたことなど、論外である。 今一度、わが国の危機管理体制を徹底して見直したい。 衆議院議員 |
コラム・メニューに戻る











