おやじのせなか
朝日新聞 2008年8月24日
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朝日新聞 2008年8月24日
![]() 父は石油製品を取り扱う小さな貿易会社を経営し、世界中を飛び回っていました。オランダへの出張から帰ると「あの国はすごいよ。海抜より低いところでも暮らすための国家戦略がある」などと小学生の兄と私に語り始めるんです。国家がどうあるべきかという話は、いつも我が家では日常会話でした。 「国家の基本はエネルギーだ。日本は石油禁輸から戦争や南進に踏み切った。アラブ産油国とのつながりは重要だ」など話していました。弁が立ちすぎ、天下国家を語り始めると止まらないんです。「あ、また同じ話が始まった」と、兄と一緒にぱーっと逃げ出してしまうほどでした。 天下国家を優先し、自分や家族は後回しです。でも、人助けには全力を尽くす人。三島由紀夫の「盾の会」の人たちの世話や、当時の石原慎太郎氏の活動を熱心に支援しました。あげくに1969年には、衆院選に出馬。私は高1でしたが「よせばいいのに」と、しらけて見ていました。選挙活動ではアルジェリア情勢とか遠い話ばかりして、見事に落選。その後も事業はそっちのけで、いつも国家を優先。結局、事業も失敗し、家屋敷も取られ、借金だけが残りました。おかげで、私は親を当てにせず、自立が早かった。 父はほとんど家にはいませんでしたし、家族旅行に行った記憶もありません。それでも世界や日本の話を伝えてくれたことが、私の血となり肉となったわけで、ユニークな父には感謝しています。 私のカイロ留学についても「それは面白い」とすぐに賛成してくれました。リスクを取ってでも、自分で動く。「考えすぎるよりは、思い切っていけ」という気宇壮大な人です。 私が参院選出馬を決めたとき、父には相談しませんでした。むしろ父とは一線を画したい思いでした。いまも政治の話はめったにしません。 父の生き様に多くを学びました。確実な情報をもとに戦略を練った上で、最後はリスクを取るということです。 いまは86歳になる父と84歳の母の面倒を見る介護の真っ最中。高齢化社会のあり方を考えずにいられない毎日です。元気だったころの父とは変わってしまいましたが、憂国のDNAは、私に引き継がれていますね。 |
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