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日本よ 小沢ルールから抜け出せ

新潮45 4月号別冊 『櫻井よしこ編集長「小沢一郎」研究』 2010年4月

民主党幹事長・小沢一郎氏…。
 政権交代が起こったとはいえ、本質的には退屈きわまりない日本の政界で、これほど存在感のある政治家はそうはいない。
  五五年体制が崩壊し、自民党が下野したのが九三年。意思さえあれば、いつでも自民党総裁になりえた小沢幹事長が、自民党を離党し、新生党を結党したのが最 大の要因だった。八党会派による非自民・細川政権が政権の座にあったのはわずか九カ月弱。さらに短命の羽田政権を引き摺り下ろしたのは、あろうことか社会 党の力を借りた自民党であった。
 九四年には大野党・新進党が結成されたものの、小沢一郎氏の存在を嫌い、日本新党から新党さきがけに入党したの が、現在の民主党で閣僚を務める前原誠司氏、枝野幸男氏である。新進党では、代表選を巡り、親小沢か、非小沢かで分裂が続き、挙句の果てに、党の代表で あった小沢氏自身が、「安全保障政策が一致しなければ、政党とはいえない」として解党する。解党を決める全議員総会で、現外相の岡田克也氏と小沢代表が激 しくののしり合う光景は今も目に焼き付いている。
 その後、親小沢派のはずの自由党でも、自自公連立のあり方や小沢氏とその取り巻きによる党運営 を巡る議論が絶えず、結局、私を含めた衆参議員が保守党へと分派していく。その際の政党助成金の扱いを巡る疑惑が、今回の小沢氏と検察とのバトルや、不可 解な藤井財務大臣の突然の辞任へと尾を引いていくわけだ。
 二〇〇三年には弱小政党となった自由党が民主党と合併したが、三年後には小沢氏が民主 党代表の座につき、乗っ取り作戦は成功した。わざわざ非小沢のために「さきがけ」入りした前原、枝野両氏とすればさぞかし複雑な思いだったろう。いけすか ない上司を嫌って、他行に移ったが、後に銀行再編でまたその上司と一緒になったとのボヤキを聞いたことがあるが、まさしくそのパターンである。
  衆参両院で民主党が第一党を占め、政権交代が実現するまでの二〇年。小泉純一郎というこれまた希有な政治家に主役の座を奪われた五年間を除き、日向であ れ、陰であれ、ずっと主役の座を張り続けたのは小沢一郎氏一人である。郵政民営化に代表される小泉改革のいくつかは、実は小沢氏が先駆けて世に問うたもの が多い。小泉総理自身、それを意識していたのか、小沢氏への気遣いが見られた。
 二〇年というもの、親小沢か、非小沢かで日本の政界は揺れ動いてきた。まるで小沢氏はS極とN極を持つ磁石のような存在である。

 

二枚のカード

 一九九三年に 上梓された小沢氏の『日本改造計画』は、すでに参議院議員であった私も、その内容の多くに共感したものだ。特に、「グランド・キャニオンには柵がない」と いう冒頭の件は、お上に頼りがちな日本人の意識改革を促すものであり、まさしく私自身が考える日本変革の柱と重なっていた。
 小沢氏の変革のための三本柱はこうだ。
 「第一に政治のリーダーシップの確立。政策決定の過程を明確にし、誰が責任を持ち、何を考え、どういう方向を目指しているのかを国内外に示す。
 第二は地方分権。国家全体として必要不可欠な権限以外はすべて地方へ移し、地方の自主性を尊重する。
 第三が規制の撤廃。経済活動や社会活動は最低限度のルールを設けるにとどめ、基本的に自由にする」
 一つ一つ、お説ごもっともであり、私自身の考えとの違いを見出すことは難しいほどである。だから、私は小沢氏を一時期支えた。
  しかし、掲げる政策と、実際の運営は違った。国家に対する姿勢にも、多くの疑問符が付けられた。弱小政党で二〇以上の役職をこなす中で、体調を壊したこと もあった。実際、半年で二度の開腹手術を受け、このまま行けば、命にかかわると感じたこともある。言うならば「小沢疲れ」だろうか。
 「政治は国民との握手の数による」と懇々と説きながらも、政治家にとってかきいれ時の年末年始、毎年のように新党立ち上げ作業で忙殺され、有権者との握 手の機会さえなかった。私は初めての離党を決めた。
  私は以前から、「小沢氏の政治行動の基準は、わずか二枚のカードに集約される」と分析してきた。それは「理念カード」と「政局カード」である。先述した政 権交代のための制度改革や政治主導、規制改革など政策をまとめたパッケージとしての「理念カード」。「政局カード」は政策論をかなぐり捨てても、目先の選 挙にとにかく勝つためのものである。
 「理念カード」が手詰まりになれば、「政局カード」を切り、それも難しくなると、改めて「理念カード」に戻り、世界を語る。このカードマジックを何度も 繰り返す。
 当然ながら、「政局カード」と「理念カード」の間で齟齬が生じるが、その際は「政局カード」が「理念カード」よりも優位と位置付けられる。さらに、「国 民が忘れる」まで、「自分も忘れる」特技がものをいう。
 「国民の生活が第一。」という聞こえのよい言葉が、実は「選挙が第一」であることは、政権交代後の相次ぐマニフェスト破りの実態が証明している。
 世界的なリコールで対応に追われるトヨタであるが、リコールすべきは「鳩山偽装・ファミリーカー」だろう。
 普天間移設問題ひとつとってみても暴走し続けている。名護市長選で辺野古への移転反対派を勝たせてしまった後は、もはや暗礁に乗り上げているではない か。
 高速道路の無料化や暫定税率の廃止でエンジンをふかしたかと思うと、二酸化炭素などの排出量を九〇年比で二五%削減すると国連気候変動サミットで得々と 語って、急ブレーキを踏む。国民はジグザグ運転で車酔い状態である。
 子ども手当なるチャイルドシートを設けながら、後で請求書が回ってくるだけだし、あれだけ声高に後期高齢者医療制度の廃止を言いながら、ダンマリを決め 込む厚生労働大臣はお年寄りを車に乗せさえしない。
 何よりも、新型のエコカーかと思ったら、エンジンは田中角栄時代の旧式で、鳩山「子ども手当」がらみも含めると五人もの秘書逮捕などで排気ガスまき散ら しである。
 鳩山カーにはナビがついていない。どこへ連れて行かれるのか、わからない不安が支持率の低下に表れている。国民は、実は運転席の鳩山総理ではなく、後部 座席にどっかり座る小沢幹事長が「右だ」「左だ」と指示を出していることも知っている。
  民主党のマニフェスト作成に小沢氏が渾身の力を注いだとは思われない。政策好きの若い衆に投げておけば、よい。小沢氏ならそう考えたのだろう。細かな政策 作りよりも、政党選択を大きなテーマと位置付けるから、勝てそうな候補の選択と、勝てる環境作りにエネルギーを注ぐことに集中したといえる。

 

ご都合主義

 さらに不可解 なのは、永住外国人の参政権問題への執着である。自由党時代、私や西村眞悟氏などは反対派であったが、党として突き進んでいく様は異様であった。また国 旗・国歌法の取り扱いもぞんざいなものがあった。国家という基本的な政治要素、まさしく「理念カード」として扱うべきテーマなのに、自自公連立から離脱し た途端、いとも簡単に「政局カード」としてひっくり返す態度には怒りさえ感じたものである。
 企業献金制度や、公職選挙法の見直しなど、政治とカ ネを巡る制度の改正にも、小沢氏は熱心に取り組んできたようにも見えた。政治資金の公開なども、誰よりも透明性があると、胸を張っていたが、政治の透明性 の問題も、今回の不動産購入や政党助成金を「私」していた問題で極めてご都合主義であることが明々白々となった。
 我こそは日本にとって必要なことをやっているのだから、それを邪魔する人間は徹底して排除する。
 これが小沢ルールである。
 天皇陛下と中国国家副主席との特例会見で一カ月ルールを破ったことなど、小沢ルールからすれば「それが、どうした」の域だろう。
 「政局カード」と「理念カード」の混乱は他にも多々ある。副大臣・政務官を百人規模で政府に参入させる「政府・与党一元化」も、本家のイギリスで見直し の議論がある。党首討論は、導入した当事者である小沢氏は討論に応じず国対のツールと化してしまった。
 政治倫理を確立するための政倫審は小沢氏が衆議院議院運営委員長時代に設けられたものだが、不起訴とはなったものの、自らこの場を活用して政治的責任を 果たす気もないのだろう。
  湾岸戦争当時、「日本は平和をカネで買う現金自動支払機」との批判に、必死で自衛隊の海外派遣への道を探ったのは当時の自民党幹事長・小沢氏である。それ がいとも簡単にインド洋上での給油活動を停止し、代わりにアフガニスタンへの民生支援に五年間五〇億ドルを注ぎ込むという。湾岸戦争時の一三〇億ドルとい う
ATMに逆戻りしようというのだ。
 まだある。
 かつて日米間の経済摩擦で、日本側は内需拡大に一〇年間で四三〇兆円の予算を組み込むことで批判をかわそうとしたのも自民党の小沢幹事長だった。この大 盤振る舞いが国債多発につながっている。
  国会審議では、自民党は慣れない野党質問で政府・与党の問題点をあぶり出そうと四苦八苦している。政府側の答弁は、「待ってました」とばかりに「それは前 政権の失政でして…」と自民党政権批判を展開する。どちらが与党か、野党かわからなくなる場面も多いが、冷静に振り返れば、結局、問題の本質は小沢氏の自 民党、田中派全盛時代に遡ることになるのである。
 リーマン・ショック以来、混乱を続けた世界経済が出口戦略を探る段階に入ろうとしているのに、日本はいまだ入口付近でうろついている。「アイツが悪い」 「コイツのせいだ」となじっている余裕は日本にはない。
 混乱を長引かせているのは、日本がいまだ小沢ルールから抜け出せないでいるからではないか。
 小沢氏の二〇年間は、日本の失われた二〇年とぴったり重なる。さらなる混乱は、世界史における日本の存在を危うくするものとなるであろう。
 「小沢さんの究極の目的とは何ですか?」と私に尋ねる人が多い。「わからない」と私は答える。囲碁好きの小沢氏である。一局一局で勝つこと、ゲームその ものを楽しむことが目的なのかもしれない。大連立から、単独過半数の確保…。
 さて次のゲームは何だろうか。小沢ルールによる小沢ゲームにずっとつき合い続けるわけにはいかない。







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