原油卸会社を営む父は仕事柄国際情勢に敏感で、「島国である日本が生きていくためには、世界との繋がりが不可欠」が口癖。幼いころからエネルギーの安全保障を説かれていたものです。
母は「いつでも自分の足で歩けるようにしておきなさい、他人と同じじゃつまらない」とオンリーワンであることを良しとする人。母自身も、家族の反対を押し切って60歳のとき、カイロで日本食レストラン「なにわ」をオープン。芯の強い大正の女性で、母から大きな影響を受けて育ちました。
小学1年生から中学3年生までガールスカウトで活動。ガールスカウトのモットーである「そなえよつねに」は今でも私の座右の銘です。自ら考えてあらゆることに対応することを訓練されたと思います。
自分が甘えないように退路を断つため、一旦入学した関西学院大学を中退し、カイロ大学に留学。アラビア語を学びたいと考えたのは、アラブ世界の将来性が大きいと考えたからです。日本ではブルーオーシャンであるアラビア語取得者は貴重になると考えました。
留学の決意を伝えたときも、母は「いいチョイスね、卒業するまでは帰ってこないこと」と即OKしてくれました。
「卒業するときにピラミッドに登る」を目標に努力しました。ちなみにピラミッドに登ってから慌てて着物を着たため、左前になっているのが悔やまれます。
帰国後、アラビア語通訳・講師として働いていたとき、日本テレビの仕事でカダフィ書記長、アラファト議長の会見をコーディネートし、インタビュアーを務めました。この仕事がきっかけとなり、「竹村健一の世相講談」(日本テレビ)のアシスタントキャスターを務めることとなりました。アラブ諸国の王族や大臣をはじめ、通産省(当時)からの依頼で、皇室での通訳を務めたこともあります。
また、トルコからの留学生が、「日本でトルコから来たというと笑われた。初めは歓迎されていると思ったが、実は嘲笑の対象だと気づいたときとても悲しかった。」そう語っているのを目にしました。トルコ風呂です。トルコという国家の尊厳を守る「大義」を感じました。当時日本でトルコ風呂の看板を掲げる店は何百件もある中、「共感」が得られれば、きっと人々は理解し、共感してもらえると考えました。彼とともに、渡部恒三厚生大臣(当時)へ直談判する様子がメディアに取り上げられ、改称運動は社会現象のように注目を集め、そうした施設からトルコの名前をすべて消すことに成功しました。トルコ風呂という業種名が電話帳から消え、お店の看板が掛けかえられるまで、わずか1か月ほどだったと思います。
その後、「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京)の初代キャスターを務めました。日本初の女性経済キャスターです。このキャスター時代、イラク軍のクウェート侵攻で、クウェートで日本人が人質となりました。番組での現地取材を続ける一方で、友人たちと共にイラク側との人質解放交渉を重ねました。これにより、何とか湾岸戦争勃発前に人質解放が叶ったのです。
1992年、40歳のときに結成まもない日本新党から参院選に出馬し、初当選。翌93年、衆議院に初挑戦。当時の兵庫2区は定数5。2位で当選させていただきました。その後の細川内閣では総務政務次官に就任。当時大きさがバカでかく、使用料も高額だった携帯電話の規制緩和に取り組みました。
当時は政界再編のうねりの中で、自民党に代わる新たな政治勢力の結集が求められた時代でした。私の40代は実働部隊として日本中を駆け回りながら、徹底的に働いた記憶しかありません。
2003年9月の内閣改造で、環境大臣を拝命。青天の霹靂のことで、とても驚きましたが、いただいたチャンスは活かさなければもったいない。地球温暖化対策というスケールの大きな問題をどう国民の行動に落とし込んでいくのか。これこそ、大義と共感。日頃暑い中ジャケットにネクタイをして苦しんでいるビジネスマンのため、キンキンに冷やされたオフィスの中でひざ掛けをする女性。男性も女性も日常の辛さからひとつ解放されるようにと、「クールビズ」を提唱しました。冷房の温度を調整してエネルギー消費を減らし、CO2の排出を減らすことにも繋がります。「クールビズ」という共感を呼ぶ政策によって、国民の意識を大きく変えられたと思います。
環境省提供
2005年の郵政選挙で、選挙区を東京10区に変更。その後10年以上、東京10区で衆議院議員を務めました。今も私のホームです。
2006年の第一次安倍内閣では内閣総理大臣補佐官(国家安全保障担当)に任命いただき、翌2007年7月、女性初の防衛大臣に就任しました。わずか55日間の任期でしたが、防衛省へ移行後、2代目の防衛大臣として国防という国家の最重要部門に関われたことは、まさに「女子の本懐」という気持ちでありました。
防衛省提供
2016年7月、東京都知事選挙に立候補。度重なる知事の交代や、どんどん積み上がる五輪予算などで都政への信頼が揺らいでいました。当選するかどうか全く分からない状況でしたが、都政の透明化、情報公開を徹底的に進め、都政の信頼を回復しなければならないと思い、出馬を決断。できない理由を考えるよりも、あえて崖から飛び降りる覚悟で挑戦しました。
都民の税金がどう使われているのか、都民目線できちんと納得感のある意思決定であるべきです。「都民が決める。都民と進める。」を合言葉に、「東京大改革」をお約束しました。
結果は291万人以上の方々からお支えいただいての、当選。これほど多くの方々から共感をいただけたことに皆様のご期待を感じ、嬉しさと同時に身の引き締まる思いでありました。
有権者から直接選ばれた都知事として、自分で絵を描いて、自分で実現していくことが制度上の役割。スピード感を持つのと同時に、情報公開を徹底することによって、政策実現に曇りがないようにしなければなりません。
都政と国政の最大の違いは「生活者」により近いところです。市区町村とよく連携をして、現場のニーズをしっかりと汲めるリーダーでありたい。
東京都の予算は「一つの国家に並ぶ規模」とされ、スウェーデンやギリシャを超える規模です。それだけの世界有数のメガシティ・東京はもっと発展する余地があります。経済、環境、文化など元来有している魅力も、伸びしろも大きいと思っています。世界の日進月歩の変革についていくには、国に先駆けてなすべきことを進めます。東京から新しい日本をつくる原動力を生み出すのです。
待機児童の解消や保育の無償化への東京都独自の支援策の実現、受動喫煙の防止、行財政改革、政党復活予算の廃止など様々な改革に取り組み、実現してきました。
また、就任直後に立ち上げた都政改革本部の五輪・パラリンピック調査チームは、五輪費用の洗い直しを開始。3兆円を超えると言われた総費用の背景には、大会運営のガバナンスの問題がありました。あらためて各施設の費用を確認し、総費用の上限を1兆8千億円と設定しました。さらに都、国、組織委員会、JOCでコストをチェックし合う、継続的な予算管理の仕組みづくりができました。予算の縮減を続けた結果、2019年12月時点での予算計画では1兆3500億円にまでおさえこみました。想定外の感染症パンデミックによる延期で、開催の方法や追加費用の負担配分など課題は残っています。これらについても、納得感のある結論を出せるよう、情報を公開しながら進めてまいります。
誰も経験したことのないような、未知のウイルス見えない敵との戦いは今も続いています。
この間、東京都はまずは都民の命と健康を守ることを最優先に、外出自粛など都民の皆様へご協力をお願いしてまいりました。
ご不便をおかけする事業者の皆様には「東京都感染拡大防止協力金」を創設。その他にも融資支援制度、テレワーク助成制度、テイクアウトなどの業態転換支援なども用意しました。個人向けにも実質無利子の融資制度や、ベビーシッター利用支援など用意し、ご活用いただいています。
この戦いは長いものになる見方が出ています。私たちは今、新しい社会の入り口に立っています。「感染症の拡大防止」と「経済社会活動」の両立を図りながら、皆様と共に「新しい日常」が定着した東京を創りましょう。
1952年7月15日 | 兵庫県芦屋市生まれ |
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1971年3月 | 甲南女子高校 卒業 |
1971年9月 | 関西学院大学社会学部 中退 |
1976年10月 | カイロ大学文学部社会学科 卒業 |
1977年 | アラビア語通訳 アラビア語講師として活躍 |
1978年 | 日本テレビ特別番組「カダフィ書記長、アラファトPLO議長会見」コーディネータ、インタビュアーを務める |
1979年~85年 | 「竹村健一の世相講談(日本テレビ)」アシスタントキャスター |
1984年 | トルコ風呂改称運動に協力し、名称変更に成功 |
1988年~92年 | 「ワールドビジネスサテライト(テレビ東京)」初代キャスター |
1990年 | 湾岸戦争における日本人人質解放交渉に協力 |
1990年 | 日本女性放送者懇談会賞を受賞 |
1991年6月 | ATP 賞テレビグランプリ(全日本テレビ番組製作社連盟)特別賞を受賞 |
1992年7月 | 参議院議員(1期) |
1993年 | 衆議院議員(以降8期連続当選、~16年) |
2003年 | 環境大臣 就任 |
2004年 | 環境大臣 再任・内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)就任 |
2005年 | 「クール・ビズ(Cool Biz)」提唱 |
2006年 | 内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当) 就任 |
2007年 | 防衛大臣 就任(女性初) |
2010年 | 自由民主党総務会長 就任(女性初) |
2016年7月 | 東京都知事 就任(女性初) |
2017年4月 | TIME誌「世界で最も影響力のある100人」に日本人で唯一選出 |
2017年11月 | ブラジル政府が外国人に贈る最高の国家勲章「南十字星国家勲章」を叙 勲 |
2020年7月 | 東京都知事 2期目就任(366万1371票) |
2020年12月 | 新型コロナウイルスへの注意呼び掛けに用いた「3密」が「新語・流行語大賞」年間大賞を受賞 |
2021年7〜8月 | 史上初の無観客・1年延期での東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会開催 |
2021年8月 | オリンピック精神の普及、発展への貢献をたたえる功労章「五輪オーダー」で最高位の金章を受賞 |
2023年5月 | 新型コロナウイルスが「5類」移行、それまでの感染による東京の死亡者数をOECD諸国中で低水準に抑制 |
2023年12月 | 2023Forbes「世界で最も影響力のある女性」100人・日本人女性3人のうち1人に選出(4年連続) |
2024年3月末 | 東京都知事として在職2801日のうち、出勤率83% |